本稿は、令和8年度有信会東京支部総会・懇親会の特別企画「70年を振り返って」にご登壇いただいた池下亮一さんから、当日のお話を寄稿としてお寄せいただいたものです。
もう15年経ったのか? 2011年3月11日はつい最近の出来事のように思い出される。津波で流される家や車、そして原発から出る煙と放射能。
その前年、私は胆管がんを患い、9時間の手術を経て何とか生き延びたところであった。「生かされている」を実感し、この先の人生をどう生きるか?「何でもいいから人様のお役に立ちたい」と柄にもなく漠然と考えていた時であった。
5月、単身で仙台に赴き、あるボランティア団体に参加。そこで感じたのは、一人で頑張るより、多くの仲間でやるべし、と「そうだ!!『有信会』なら出来る」。早速、親しいOB/OGに声を掛けると瞬く間に「七隈っ隊」が結成された。
そこからはとんとん拍子、「七隈っ隊」のネーミングは皆で考え、ロゴは久留米在住の卒業生の白水栄子さんが揮毫してくれた。名前入りのビブス(ベスト)と幟旗はボランティアならばと半額で請け負ってくれる業者が見つかった。更には家族や友人知人にも参加してもらう事にした。第一回は宮城県東松島市の仮設住宅への訪問。その年の11月に現地の収穫祭に合わせて行く事になった。総勢20名程が車に分乗して東北路を走った。途中、放射線濃度の高い地域も通った。
我々が訪れた仮設住宅には100名前後、40世帯ばかりの人々が避難してきており、暖かく迎えてくれた。以来、「七隈っ隊」のボランティアはこの仮設住宅を中心に活動することとなった。発災した2011年からコロナ禍の2022年までの間、約10年間、延べ30数回通う事となった。これだけ通えば、自然に住民の人たちとの気心も分かり合え、密な交流ができた。
夏はバーベキュー、そうめん流し、かき氷、秋冬にはお餅つき、中でも朝取れた牡蠣は焼いても蒸しても絶品。食べても食べても食べきれず、最後は殻を剥くのさえ面倒になってやめた。おそらく一生分の牡蠣を食べたのではないか?





お返しにと、「七隈っ隊」からは「博多もつ鍋」を提供。また今泉透君特製のガメ煮は大好評。おかわり続出であっという間に完売となりました。
「七隈っ隊」からは延べ200名近くが参加してくれたのではないか。井元元支部長、柴崎元支部長にも参加頂き、仮設の方々と率先して交流してくれた。弁護士の江口衛君は被災者の被災証明書作りに貢献、今に至っても地元の方々からは「感謝」の言葉を頂いている。
ボランティアに通うようになって3年目か4年目だったか、仮設住宅の子供達から「ディズニーランドに行きたい」との要望が出て、バスを仕立ててディズニーランドへ1泊。生憎の雨降りではあったが、日頃仕事で参加できない「七隈っ隊」のメンバーも加わって、楽しい2日間を過ごすことができた。後日、子供達の感想文を書いてもらった。一番の思い出はなんと「ホテルのふわふわ布団!」であった。意表を突かれると共に、仮設住宅での生活の厳しさを再認識させられた。
そして、高台に復興住宅ができ、住民の多くは移ることができたが、お祭りのたびに招かれ、餅つきやもつ鍋を振る舞って、今も交流は続いている。
時折、「七隈っ隊」のメンバーから思い出話を聞く機会があるが、「人生で最も有意義に過ごすことができた」「ボランティアに呼んでいただいて感謝です」などと、嬉しい声を聞く。そして、改めて応援してくれた「七隈っ隊」のメンバー、参加はできませんがと、ポンと20万円を寄付してくれた方、感謝に絶えません。
このところ体調を崩し、もうあの当時の元気が無くなったのは残念だが、誰か後継者はいないかと願っている。もちろん災害がないことに越した事はない。
(昭和41年卒 池下 亮一)

